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聖徳太子といえば、「10人の話を同時に聞くことができた」という逸話が有名ですが、「何をした人物なのか」知っていますか?
- 仏教を積極的に取り入れた
- 十七条憲法・冠位十二階の制定
- 隋(中国)に遣隋使を送った
これらを行った人です。歴史の授業でこれらサクッと習いますが、これめっちゃ凄いことですからね。
ゆうすけ
目次
聖徳太子って何をした人?
仏教を広めた
日本人にとって、なじみ深い宗教といえば、やはり仏教ですよね。
- 神社:初詣、お宮参り、七五三
- お寺:葬式は仏式、お墓

今では、自分は無宗教だと答える人が多いほど、宗教を重んじる文化が薄れていますが、
聖徳太子が生きた時代における
宗教はめちゃくちゃ大切なものでした
というのも、当時の人々は天候に大きく左右されることから「自然界のすべてに神が宿る」と考えられていたからです。
気象学や物理学など、学問がほとんどない時代の人々にとって、「神様がお怒りになって天候に恵まれず今年は不作だ…」とか言って、自然という説明できないものを神格化していたということです。
そもそも仏教の開祖は、インドのお釈迦様。
釈迦が悟りを開き、それがインド→中国と東に伝わっていき、日本にまで広がりました。
このとき、日本ですでに信じられているものを引き継ぐのか?それとも海外からやってきた仏教という教えを信じるのか?それらをめぐって、争いが起きるほどでした。
この争いは、聖徳太子含む仏教推進派が勝利し、今があるわけです。
十七条憲法と冠位十二階
十七条憲法:日本初、文章で決めた法律
冠位十二階:日本初、位の制度を作った
十七条憲法
「和(やわらぎ)を以て貴(たっと)しと為し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」
(原文は漢文)
これが十七条憲法第一条の書き出しです。
これは「仲良くすることが何よりも大切で、争いごとは良くない」ということです。
この後、「何事も話し合いで決めよう」と続き、これは言い換えれば「民主主義」と言えます。
当時、世界の国のほとんどが独裁国であった時代に「争うことなく、話し合いで決めよう」ということを第一に書いた憲法は、世界的にも珍しい画期的なものだったといえます。
第二条には「仏教を大切にせよ」、第三条に「天皇の詔(みことのり)を大切にせよ」と書かれています。
聖徳太子は皇太子という身分であったのにもかかわらず、天皇の権威よりも「話し合うこと」や「仏の教え」の方が大切だと言ったわけです。
冠位十二階
冠位十二階は天皇に仕える役人を12段の位にわけて格付けしたものです。
これは、それまで生まれによって身分が決まるのではなく、能力によって身分を決めようという目的によって定められました。
遣隋使
中国は日本よりも先に、はるかに高度な文明が誕生していました。
実際、日本にはまだ文字がない時代のことは、中国の歴史書から推測されています。
当時、隋が中国を統一していたとき、隋に使いを派遣したのが「遣隋使」です。
さらっと「使いを送りました」と言っていますが…
当時の造船技術と航海術は未熟なため、海を渡る渡航は、命懸けの行動でした。
- 隋の進んだ文明を学び日本に持ち帰るため
- 隋と良好な関係を保つため
このときに、聖徳太子が隋の皇帝だった煬帝(ようだい)に向けて書いた手紙の書き出しはとても有名です。
「日出ずる処(ところ)の天子(てんし)、書を日没(ひぼっ)する処の天子に致す、恙無(つつがな)きや」
(原文は漢文)
これは「太陽の昇る王(日本)から、太陽の沈む王(隋)へ、お元気ですか?」という意味で、これを読んだ皇帝の煬帝は激怒したと伝えられています。
「天子」というのは、中国の皇帝を指す言葉で世界に一人しか存在しないはずなのに、自分の国よりも下の国に、対等な書き方をされたからです。
これは、日本がすでに侮れない国力を持っていた証だと考えられます。
日本が中国に舐められず支配されずにいれたのは、聖徳太子のおかげかもしれません…。
聖徳太子の基本プロフィールと年表
基本プロフィール
- 本名:厩戸皇子(うまやどのおうじ)
- 生没:574-622年(48歳)
- 主に生きた時代:飛鳥時代
- 身長:180cm(推定)
当時、天皇だった推古天皇の摂政として政治を行っていた皇太子です。
年表
- 574年:馬宿の前で生まれる
- 593年(19歳):推古天皇が即位し、摂政となる
- 603年(30歳):冠位十二階を制定
- 604年(31歳):十七条憲法を制定
- 607年(33歳):小野妹子らを遣隋使として隋に送る
- 622年(48歳):死去
馬宿の前で生まれたため、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と命名されたそう。聖徳太子というのは、後世の尊称。
ちなみに、「10人の話を同時に聞くことができた」という逸話は、たくさんの人の相談に的確に助言ができたことで、そのような逸話が作られたのだと言われています。
まとめ
ゆうすけ
- 仏教を積極的に取り入れた
- 十七条憲法・冠位十二階の制定
- 隋(中国)に遣隋使を送った
仏教の素晴らしさに気づき、国を治めるために必要なことを心得ており、日本という国に誇りを持ち海外と対等な関係を保った聖徳太子がどれほど偉大な人物であったか。
ゆうすけ
今回紹介したことは主に、百田尚樹さんの『日本国紀』という本を参照しました。
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509ページ
私たちは何者なのか―。
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少し分厚い本ですが、日本史が苦手な人にはおすすめな本です。というのも僕自身、歴史を学ぶのが苦手でしたが、この本がきっかけで好きになりました。