僕は、勉強としての読書が好きです。
日本史を知って僕らの先祖は何を考え、どんな生活をしていたのかを知ったり、哲学者の思考を知ったり、科学について知ったり、、、
それらは、頭を使う労力のいる作業ではありますが、自分の頭が成長していく楽しさがあります。
こういった勉強としての読書に限らず、小説等も、想像力を鍛えてくれたりと、何か読書には大きなメリットがあるように感じます。
これらを受けて、「みんな、読書しようぜ!」「読書離れが進んでる、やばい!」などの、ある種、
読書しないとやばい
みたいな風潮って感じませんか?
ゆうすけ
みたいなのってただの強迫観念であって、本質的とはいえません。
今回はそんな、「読書したいけど、でも時間がない…。でも、しないと…。」と考えている人に向けて、僕の考えを書いていきたいと思います。
本を読まないメリット
「読まないと悪!」みたいな風潮はちょっと違うと思っていて、何事もメリットがあればデメリットもあるのが世の常。
あえて、本を読まないことのメリットという言い方をするなら、こんなことが挙げられます。
- 読書以外の時間が充実している証拠と言える
- 読書以外に没頭できる趣味があると言える
- 読書以外から情報収集できている
総じて言えるのは「読む時間がないから読書できない」のではなく、「読む必要がないから読書しない」なんですね。
ゆうすけ
「読書できない!」というのはその人にとって、数ある物事の中で、読書の優先順位が低いだけなんです。
それは逆を言うと、読書ほどメリットのあるもの以上に、有益なことが自分の生活の中にあるということです。
素敵やん。
本を読むデメリット
じゃあ次は、本を読むデメリットについて考えたいと思います。
ゆうすけ
読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。
それは生徒が習字のときに、先生が鉛筆で書いてくれたお手本を、あとからペンでなぞるようなものだ。
ショーペンハウアー『読書について』より
これは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉です。
本っていわば、先人たちが見つけてきた知恵ですよね。何か困ったことがあれば、本を通して、先人の知恵を借りるわけです。
でも、自分で正解に辿りつく力も大切ですよね?
じゃあここでちょっと、想像してみましょう…。
ゆうすけ
ゆうすけ
ゆうすけ
これら、良く言えば、好奇心旺盛な少年ですが、逆に言うと、自分の力で正解を見つけようとしない姿勢です。
本に書かれている内容を、まわり道して自分の力で見つけたっていいんです。むしろ、そっちの方が、自分の身になります。
だから僕は、本だけ読んで偉そうにしてるいわゆる「意識高い系」は嫌いですね。
ショーペンハウアー『読書について』の詳しい解説はこちらの記事をご覧ください。

50%が読書をしない
「0分」は48.1%で前年+0.1ポイントと、平均値とともに前年からの大きな変化は見られない。
全国大学生協協同組合連合会が出している2020年の調査では、大学生の48.1%が1日の読書時間が「0分」だそうです。肌感覚的にあってますよね。
ゆうすけ
つまり何が言いたいかというと、多くの人は読書していないということです。だから「読書しないとやばい!」みたいな主張は、
国民の半数に対して「お前やべーよ」と言っているようなもの
それは、本を読んでいないというだけで、ちと言い過ぎかなと思います。
大学生であればなおさら、部屋に閉じこもって読書をするより、旅行なり、サークルなりで、実際の体験を通しての学びを大切にしてほしいとすら思います。
何が言いたいかって…
結局僕が何を言いたいかって…
読書ってそんな偉いもんじゃないぞ?
ってことです。
僕は大学生のときは読書は全くしませんでしたが、ある程度大人になってから読書の楽しさに気づくことができました。
これって言わば、ただの趣味なんですよね。
子供の時には気づかなかった趣味の魅力に、時間が経ってから気付いてハマっているという、ただそれだけ。
もちろん、読書をしていろんな知識が身に付いて、あらゆる物事に対して、いろんな見方ができるようになる。なにか体系的にまとめられた知識を得るためには本は、最高のツールです。
でも、勉強だっておおきな括りで言えば、娯楽だし、エンタメです。
世界のイチロー選手が、本を全く読まないのは有名な話です。
ネットでみた情報曰く、「答えを提示されるのが嫌」だそうです。
まさに、ショーペンハウアーの言葉“読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。”そのものですよね。
「読書しないと・・・」と必要に駆られたら、本を読まないことのメリットに目を向けてみると、また違った世の中の見え方があるかもしれません。