話題になっていた本をついに読みました。
本作も(飲茶さんの)他の本に漏れず最高に面白かったので、読後の率直な感想を感じたままに書いていこうと思います。
※本書の「内容」ではなく僕の「感想」にフォーカスして書いています。
「人殺しが正義だと言ったら?」
「人殺しが正義だと言ったら?」
誰もがノーと首を横に振るだろう。
ただ、日本には死刑制度がある。
死刑は人殺しでは・・・?
内閣府の最新の世論調査では、死刑を容認する人が80.3%と依然高水準で、廃止を求める人は9.7%にとどまっている。
たくさん悪さをした奴は人間ではないの?
どのくらい悪さをしたら殺されることが正義となるんだろう?
正義というのはある種、絶対的なものと僕は考えていた。
悪の支配者をぶっ倒すスーパーマンは間違いなく正義のヒーローだし、人殺しは絶対的に悪人だし、いじめはよくない。
そうやって当然のように習ってきたからだ。
人が人をいじめてるのを見るのは心が痛い。
そこに理屈なんてない。ダメなものはダメ。
正義とは何か?は教えてくれない
本書を読んで、「人殺し」ですら疑ってしまう。
なんかそれっぽい倫理観を持ち出しても「え、じゃあこういうシチュエーションでも、それは正義なの?」と反例を一個でも持ち出されると打ち砕かれてしまう。
「幸せになる人が増えるようにすればいいじゃん!」と言えば、「じゃあ、あなたの臓器をすべて提供すれば、あなた一人は死ぬけどそのおかげでたくさんの人の命が助かるね!あなたの臓器全部ちょうだい!」がまかり通ってしまう。
「正義=○○」なんて公式は、存在しない(少なくとも現代では)。そんなものがあったら、哲学者は苦労しないだろう。
本書は「正義とは何か?」を教えてくれるのではなく、考えさせてくれる本だ。
僕らは子供の時に「これが正義だ」と教わってきた。
けど、桃太郎に退治された鬼の気持ちは教わらない。
結局、「もう、何も言えねぇ・・・」
正義なんて絶対的なものは存在しなくて、結局、人それぞれなんじゃね?
社会全体のために臓器提供したい人がいるなら、そのために一人の人間を殺すのは正義。
かといって、いじめで人は殺しちゃいけない。
あ、でも、たくさん悪さした人なら殺してもいいよ。
こうやって、その場その場のシチュエーションで、各個人が考える「善」こそが正義なのでは?って解釈に至りそうだけど、
それって何も言ってねぇ。
シチュエーションによる。人それぞれだよね。というのはたしかにそれっぽいけど、正義に対して考えを放棄しているだけだ。
ひとつの倫理観を提示すれば、反例を持ち出して打ち砕かされて、
人それぞれだよねって言えば、それって思考停止じゃね?ってなってしまう。
ゆうすけ
たぶん僕は構造に支配されるだけ
もう、何も言えねぇので、たぶん構造に支配されるだけなんだろうなって思った。
これは本書に書かれている「構造主義」という考え方です。
ようは、『人間は、何らかの社会構造に支配されており、決して自由に物事を判断しているわけではない』という話だ
僕らは自分の意思で判断してると思っているけど、それは社会構造に判断「させられている」だけだということ。
人殺しは悪だと思っているけど、それは社会的に「人を殺すと罰する」という社会構造が、僕にそう思わせてるだけかもしれない。
結局、環境に適合していくだけなんだろうなぁ・・・。
別にそれが嫌ってわけじゃないけど、なんだか自分が無いような気がして「それが生きるってことなのか?」と考えるとちょっと虚しい。
人間は知能があるし、喋れるし、文明も築いてきたけど、何かに支配されていてその仕組みの中の歯車なんだと思うと、繁殖と分裂を繰り返すアメーバと変わんないじゃん。
なんか、そう考えると、悩むこととか馬鹿らしいことなんじゃないかと思えてきた。笑
はい。感じたことをただただ書き殴りました。このへんで終わります。
『正義の教室』を読んだ人は、何を感じましたか??