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セネカ『人生の短さについて』の要点をわかりやすく解説|過去から学び今を生きよ

セネカ,ルキウス・アンナエウス

1B.C.‐65A.D.ローマ帝国の属州ヒスパニア・バエティカのコルドバに生まれる。カリグラ帝時代に財務官として活躍する。カリグラ帝が暗殺されクラウディウスが皇帝に就くと、その妃メッサリナの画策により姦通罪に問われ、コルシカ島へ追放される。

8年余りの追放生活ののちローマに戻り、ネロの教育係となる。ネロが皇帝に就任後は政治的補佐を務めるが、制御することができず辞表を出す。隠遁生活に入ってからは精力的な執筆活動をおこなった

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セネカ『人生の短さについて』の要点解説

人生は浪費すれば短い

セネカによれば、多忙な人間から有意味な時間を奪い、人生を浪費させて、短くしてしまいます。僕たちは人生の短さを嘆きますが、それは時間の無駄使いをしているからなんです。

例えばこんな一日を過ごしている人は多いのではないでしょうか?

朝起きて、満員電車に揺られて、朝から晩まで仕事して、家に帰って夜ご飯を食べて寝る。

このように人生の時間を見直してみてみると「自分の時間」の少なさに気づくはずです。

ここで言う「短さ」は単に生きた時間のことではありません。

その人の髪の毛が白いとか、顔にしわが寄っているというのは、その人が長く生きてきたと認める理由ではない。それは単に長く存在しただけ。

例えば、荒れ狂う波に揉まれて海の中をくるくる回っていた船は、長く航海していた、というより長く振り回されただけです。

セネカの言う人生の長い・短いというのは「自分の時間をいかに生きたか」というところに焦点が当てられています。

自分以外のものに支配されてただただ長く存在するのは「生きている」と言えなさそうですよね。

仕事マンは幸せになれない?

セネカは多忙な人間に対して否定的です。

誰かの為に努力をして、大金を稼いで、人から羨ましがられるような人生がはたして本当にいいものだろうか?

セネカはそういった成功者を見ても羨ましいと思ってはいけないと言います。

なぜなら、多大な苦労をして手に入れたものを保持するために、さらに多大な苦労をしなければならないのだから。

彼らは、苦労の末に欲しいものを手に入れる。そして、手に入れたものを不安げに持ち続ける。

しかし、そうしている間も、二度と戻らない時間のことは、まったく気にもとめない…。

過ごし方しだいで長くなる

では、セネカの考える有意味な人生の過ごし方は何か?多忙がダメなら暇になればいいというわけではありません。

真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にあると言います。

 

時間には「過去」「現在」「未来」の三つがありますよね。

未来というのはどんな人であっても予測することはできません。100年後を心配したところで、僕らは明日死ぬ可能性だってあるわけです。そんな予測不可能な未来を心配することなど、まさに時間の無駄。

では、過去はどうでしょう?過去は未来と違って確実なものですよね。ならば、こう考えるべきです。

人々に尊敬される諸学派を作り上げた高名な創設者たちは、われわれのために生まれてくれた。そして、われわれのために、生き方のお手本を用意してくれたのだと。

他人が苦労してくれたおかげで、われわれはとても素晴らしいものへと導かれていく。

そして、僕らは過去でも未来でもなく「今」しか生きられないわけです。

だから、未来に頼ることをせず、過去ときちんと向き合って、そのうえで現在という時間を「自分の為になる」ことをして生きることが大切なのです。