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プラトン『ソクラテスの弁明』の要点をわかりやすく解説|ソクラテスはなぜ告発されたのか?無知の知の語源

プラトン『ソクラテスの弁明』の要点をわかりやすく解説

プラトン

427‐347B.C.。古代ギリシャを代表する哲学者。アテネの名門の家系に生まれる。師ソクラテスとの出会いとその刑死をきっかけに哲学の道に入り、40歳ころには学園「アカデメイア」を創設して、晩年まで研究・教育活動に従事した。その壮大な体系的哲学は、後世の哲学者たちに多大な影響を及ぼした

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プラトン『ソクラテスの弁明』の要点解説

ソクラテスは人々と街角で「徳」をめぐって対話を交わしていました。

しかしソクラテスは「若者を堕落させる」「国家全体に害悪」という理由で、告発され死刑の判決を受ける。

『ソクラテスの弁明』は文字通り、裁判所でのソクラテスの弁明の様子を弟子のプラトンが書き残したものです。

ソクラテスが生きた紀元前400年頃にはすでに、ギリシャ・アテネでは地球上初の「民主制」が成立していました。

民主制では政治家(権力者)の考えに共感できるとか、「好感」を抱くとか、そういったことが重要になってきます。

民主制はもちろん完璧ではありません。なぜなら「なんかソレっぽいことが言える人」が権力を握ることになるからです。

それだと「正しさ」よりも「共感」や「好感」が優先されてしまいます。

そこで、ある日ソクラテスはこんな神のお告げを受けます。「ソクラテスより知恵ある者は、誰もいない。」

これを受けてソクラテスはこう思います。「神は一体何をおっしゃっているのだろう。私は、知恵ある者であるとは、自分で少しも意識していいないのだから。」

そこでソクラテスは、自分より知恵があると思われる者を尋ねては対話を交わします。

ここで「なんかソレっぽいことが言える人たち権力者」にはたいして知恵がないということを理解していくわけです。

ソクラテスは「自分が多くを知らない」ということを自覚していた。これが日本で「無知の知」という言葉で知られているルーツです。

自分が「知らない」ということを自覚していないと「知りたい」とか「学びたい」と思うことすらできません。

権力者は本当は知恵がない。そのことをソクラテスはあきらかにしました。

しかし、世間で評判が高い人ほど自尊心が高く、築き上げた評価を傷つけられたくないと防御的になる。そうやって権力者たちの反感を買ったことがきっかけで告発されてしまいます。

「無知の知」の重要性

ソクラテスは裁判所で弁明するわけですが、ここにはソクラテスの確固たる意志があります。

裁判の場で「僕らは何も知らない。真理を追究しよう」ということを主張することは、場違いであり、無意味なこととされてしまう…。

真理なんかは求められていない、求めても意味がないと諦めて、裁判や政治、そして人生のすべては相対的な思いこみの世界、弁論の力が支配する場になってしまう。

法廷では、説得的に語り、人々にそう思われさえすれば、それが決定への力となります。

 

真理はそっちのけで、弁論の力が支配する場が正しいはずがない。

ソクラテスは「ソレっぽいこと言ってないで真理を追究しよう」といういわば「権力者に反する」意見を裁判でも突き通しました。

結果、有罪判決となり、死刑となりました。それを見ていた弟子のプラトンがソクラテスの意思を引き継いで、その弁明の様子を書き残したのがこの『ソクラテスの弁明』です。

 

イエスが十字架にかけられたことにより「キリスト教」が成立し、彼の教えが全世界に広まりました。

それと同じように、ソクラテスの裁判と死刑が「哲学」の意味を人々に考えさせ、それを継承し西洋の哲学が成立し、いまや日本を含む全世界で人々は哲学に従事しようとしています。

ソクラテスの弁明は残されたすべての人へのメッセージとなったわけです。ソクラテスが哲学の祖と言われる理由がここにあります。