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ミル『自由論』の要点をわかりやすく解説|現代人にも刺さる言葉

ミル,ジョン・スチュアート

1806‐1873。19世紀イギリスを代表する哲学者、経済学者。功利主義の始祖ベンサムの盟友だった父、ジェームズ・ミルによって幼少時から厳格な教育を受ける。ギリシャ語、ラテン語、ユークリッド幾何学、経済学などを学ぶが、学校教育は受けず、17歳で東インド会社に就職。専門職としての学者生活を一度も送ることはなかった。東インド会社退職後の晩年は、婦人参政権を要求するなど選挙制度改革に取り組んだ

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ミル『自由論』の要点解説

本書の目的

本書の目的は、きわめてシンプルな原理を明示することにあります。

その原理とは、「他人の行動の自由に干渉することが正当化されるのは、自衛(他からの暴力・侵略を、自分の力で防ぐこと)の場合に限られる」ということです。

これは逆に言うと、他人の意に反する干渉が許されるのは、他の人々に危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られるということでもあります。

至ってシンプルな考え方ですよね。他人に迷惑を掛けなければ、すべて自由。それは暴力のような物理的な干渉や、悪口のような精神的な干渉も含まれます。

そしてこれは「相手のためになるから」とか「相手をもっと幸せにするから」などという干渉を正当化する十分な理由にはなりません。

「よかれと思って・・・」とういうのは単なる主観であって、相手は迷惑と感じているかもしれません。自分自身の身体と精神にたいしては、個人が最高の主権者なんです。

前提条件

では、生まれたての赤ちゃんが泣きわめいて他人に迷惑をかけたら、赤ちゃんのその口を塞ぐことは許されるのでしょうか?それはちょっと、いくらなんでも可哀想ですよね。

ミルは、自由(他人に干渉しないこと)についてこんな前提条件を挙げています。

  • 子どもや未成年は除外
  • 民族そのものが未成熟だと考えられる場合も除外

つまり、未成年のようにまだ未熟で自分だけでは責任が取り切れない立場の場合は、他人から干渉されたり、他人へ干渉することが許されることがあります。

赤ちゃんが泣きわめいて他人に迷惑をかけても多少は許されるでしょうし、逆に子どもを手放しに育児放棄してしまうというのは自由ではないということです。

今の日本でも、未成年が罪を犯したときは名前や顔は公表されず少年院へ送られますよね。未成年はまだ物事の善し悪しが上手に判別できない未熟者という位置づけだからです。

ミルの自由論は、成熟した大人にのみ適用されると定義しています。

思想・言論の自由

僕らには思想・言論の自由があります。この自由について理解を深めるために、まずは功利主義という考え方に触れておきましょう。

多数派を尊重する功利主義

「他人に迷惑掛けなきゃ、誰かに干渉される筋合いなんてない(自由)でしょ」というのは至極当然のことのように感じるかもしれません。

ただ、ミルがいた時代には同時に「功利主義」という考え方もありました。

この功利主義というのは簡単に言うと「社会全体がハッピーになった方が良いよね」という考え方で「最大多数の最大幸福」と呼ばれます。

つまり、「99人が幸せなら1人の不幸せはしょうがない」ということになり得るわけです。

少数派を尊重する自由主義

もちろん「少数の不幸せはしょうがない」というのは自由主義に反します。その人の自由が正当な理由なしに奪われてしまうからです。

少数派の重要性についてミルはこう考えています。

  • 人間は間違える生き物。多数派が正解、少数派が不正解という保証はない
  • そもそも意見が対立することによって人類は進歩する

よって、少数派の意見も尊重する。思想・言論の自由は誰にでもあり、各個人が個性を発揮できるような社会が理想だと唱えます。

現代人にも刺さる言葉

では、インターネットが誰でも使える現代ではどうでしょうか。少数派同士が簡単に繋がることができ、そして声を上げることができるこの社会は、ミルが目指した自由を実現できているでしょうか?

答えはNOです。

これについて、光文社古典新訳文庫(斉藤 悦則さん)の解説文を引用します。

交通・通信手段が発達したことで、遠く離れた地域に住む人たちがメディアを介して情報や意見を共有し、国民としての連帯意識を持ちやすくなった。

しかし、そうした「進歩」の帰結として、人々のライフスタイルや価値観、世論の「画一化」が起こり、更なる進歩が妨げられるという逆説的な現象も起きやすくなる。

ミルは、そうした進歩の逆説を見据えたうえで、「思想と言論の自由」の重要性を今一度強調する。

p289

ネット上であっという間に形成される“多数派”が“自分たち”の意見を無条件に真理と見なし、“自分たち”に逆らう者に対して不寛容に振る舞う、「世論の専制」の危険性も高まっている。

ネットでは情報のえり好みがしやすいので、自分と同じ意見の人とだけ交流し、みんなで敵の愚かさを嘲笑している内に、どんどん“確信”が深まっていき、他の意見に耳を貸さない傾向も生じやすい。

p292

インターネットによって偏った考えを確信してしまうと、反対意見と対立して議論をすることができません。

それは「少数派だとしてもその意見と対立して議論をすることで人類が進歩する。だから思想・言論の自由がみなにあるべき」というミルの主張にそぐわない。

ミルがテクノロジーの進歩を見据えたうえで、自由論を主張していたとされているのが驚きです。

本書を読んでいてミルが問題視していることが、現代にも通ずる問題だったので、たった200年では人間の根本的な解決は進まないものだと感じました。