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両親に喜んでもらう為に受験勉強を頑張ったのに25歳で親不孝者になった話

両親に喜んでもらう為に受験勉強を頑張ったのに25歳で親不孝者になった話

いきなりすいません僕の経歴を3秒でお伝えすると、

~ゆうすけの経歴~

 

12歳~

中学高校そこそこ勉強頑張る

18歳~

地方国立の大学に合格

22歳~

その大学の大学院に進学

25歳~

大手メーカーに入社するも入社8カ月で退職する←イマココ(2018/12)

ざっとこんな感じ。

わかりやすいくらい25歳のイマがなかなかの親不孝者です。

「自分の人生をどのように歩むのか」を深く考えなかったせいで25歳で親不孝者になった。

そんな話をしようと思います。

両親に喜んでもらう為に受験勉強を頑張った

褒められたかったし、がっかりされたくなかった

僕が中学生・高校生のときに勉強を頑張っていた理由は、両親に喜んで欲しいからだった。

勉強をして成績が上がれば両親は褒めてくれたし、逆に勉強をサボればがっかりされる。

僕が人より他人の目を気にするタイプの子供だったからか、両親が褒めてくれることはすごい嬉しかったし、がっかりされることがすごく悲しかった。

「勉強って社会に出てからどう役立つの?」という疑問はみんな学生の頃は抱いていたと思う。

僕も疑問ではあったけど、自分より人生経験を積んでいる大人たちがみんな「勉強した方がいい」と声を揃えて言うものだから、

苦労して勉強したその先には甘い果実が待ってると思ってた。

僕が勉強をするモチベーションは自分の役に立つためじゃなくて、誰かに、特に両親に褒められたいからだった。

そこそこ成績が良い中学高校生だった

人よりは勉強した。テスト直前の期間(テスト週間)では、毎週楽しみにしていたドラマを見ることも、漫画を読むことも自ら断ち切って勉強してた。

そのかいあって、中学校のテストでは常に学年全体の10%以内に入っていた。

「お前には期待してるぞ」ってお父さんから言われていたことを今でも覚えてる。

勉強をサボって期待を裏切ってしまうのは怖かったけど、それ以上に期待してくれてることが嬉しかった。

勉強する目的がなくなった大学生生活

中学高校とそこそこ勉強を頑張っていたから、第一志望の大学に入ることができた。

テレビが好きで放送技術士ってかっこいいなと思ってた。だから、通信工学を勉強しようと思って大学は工学部に進学した。

ただ、大学に入った途端に勉強をしなくなった。

理由は簡単。

勉強を頑張ったところで褒めてくれる人がいなかったから。

県外の大学に入学して、一人暮らしを始めたから親の目からは遠ざかってた。

勉強をしない理由が、今考えればすごく幼稚な理由だったけど、中学高校と原動力となっていた両親の存在は大きかった。

どれだけサボったところで誰もがっかりしない。友達にバカにされるくらいで、そんなもの両親にがっかりされるのに比べればへっちゃらだった。

ずっと勉強の目的が“両親を喜ばせる”ことだったからそうなるのは当然といえば当然だった。

なんて自分の意思のない学生なんだろう。いま考えると悲しくなるくらい幼稚だった。

自分の為の勉強をした大学院生活

大学に入学した意味を持ちたかった

大学生活、全然勉強しなかったから当然、成績は最悪だった。

大学3年生。就活する時期になったところで勉強せずに遊んでばかりいた大学生生活をめちゃめちゃ後悔した。

中学高校と苦労して大学に入ったのに、高度な教育を受けるために頑張ったのに、ほとんど何も手にすることなく社会にでてしまう。

先のことなんて考えてなかった。

大学に入った意味を持ちたくて大学院に進学したいと思うようになった

大学院で勉強したかった通信工学をがっつり勉強して、この大学に入ってよかったと思いたかった。

そう思って、両親にお願いして大学院に進学させてもらえることになった。

自分の為の勉強はめちゃくちゃ楽しかった

大学院に進学すると、これまでの「勉強」とは違って「研究」をすることになる。

僕が高校生のときから興味のあった通信工学の勉強&研究をがっつりできたこともあって、大学院生活はめちゃくちゃ楽しかった。

研究室には深夜までいるのが当たり前だったし、土日も研究室にいることも珍しくなかった。

勉強してこなかった大学3年生までの汚点をせっせと拭うかのように勉強と研究に没頭した。

自分の為に行動すると親不孝になった

勉強するのは他人の為じゃなくて自分の為だなんて当たり前のことに、大学院での勉強と研究を通じて、長い時間はかかっちゃったけど気づくことができた。

両親のために頑張ることの意味の浅はかさに気づけたから、これからは人の目を気にせずに自分の為に行動をしようと思った。

大手メーカーを入社8カ月で退職

大学院生活も終わりが近づき、僕は通信機器メーカーから内定を貰っていた。けどそのときから実は、就職はあまりしたくなかった。

それは、働きたくないという意味ではなく、その頃の僕は企業入ることより個人で仕事をするフリーランスに憧れてた。

ただ、企業に勤めたこともないのに個人で仕事をする方法なんてわからなかったし、会社員として働くということも体験していないのに就職したくないと言うのもおかしなことだと思ったから一度就職してみることにした。

就職してみて思ったことは「あぁ、やっぱり違うな…」だった。

このままではなりたい自分にはなれないと思った。だから入社8カ月で退職した。

みんなは短いって言うけど僕にとっては長かった。

だって、「試しに入ってみたけどなんか違うから辞めます。」って勝手すぎるし、そんなの周りの大人が許さないと思ったから8カ月でも自分の中では結構渋った方だった。

でも、周りの大人の為じゃなく、自分の為に行動しようという考え方は堅かった。

25歳の親不孝者

両親は僕のことが心配でしかたがないようだ。社会経験をほとんどしていない奴が会社を辞めてフリーランスになりたいって言うんだから当たり前かもしれない。

大学院まで進学させてくれた両親には本当に感謝してる。

25歳にもなって心配をかけてしまってることが本当に申し訳ないと思ってる。

けど、

とんだ親不孝者の発言をしてるかもしれないけど、僕は両親を安心させるために生きてるわけじゃない。

自分にとって正しい行動なのかわからないけど、誰かの為になるから頑張る、という考えがいかに浅はかだったかは人生を通して実感してる。

自分の意志で人生の選択をすると大切な人を悲しませるって、どんだけ生きることってハードモードなんでろうって思う。

難しいの嫌いだし苦手だからもっとシンプルになってくれればいいのに。

両親を心配させてしまっているのは、これまでに自分が安心させてあげられるだけの実力をつけてこなかったせいだと思う。

だからと言って、実力がないから自分の目標の為に行動をしないのは絶対に違う。

実力がないからこそ飛び出す必要がある。

今、現状は親不孝者かもしれないけど、僕が会社を辞めたことが正解だったと証明できれば少しは変わるんじゃないかと思う。