「みんな違ってみんないい」
これは金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩に出てくる言葉です。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
この「みんな違ってみんないい」の意味を、日本国憲法から捉えてみます。
「みんな違ってみんないい」の意味
この「みんな違ってみんないい」というのは、詩にある通り、鈴も、鳥も、私も、優劣をつける関係にあるわけではないということです。
僕ら人間は頭を使って文明を築いてきたけど、鳥のように飛ぶことも、鈴のような綺麗な音を奏でることもできない。
この世界はパズルのようにできていると感じます。
ゆうすけ
日本国憲法が最も重視すること
「みんな違って、みんないい」というのは綺麗事のように聞こえるかもしれません。
しかしこの綺麗事、我らが日本の最高法規である憲法で、最も重要視されている考え方なんです。
「みんな違って、みんないい」を人間にフォーカスすると、個人の尊重と言い換えることもできます。
この「個人の尊重」というのは、日本においてめちゃくちゃ重要な意味を持っています。
ここで、憲法13条を見てみましょう。
第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
電子政府の総合窓口 より
国民は生まれながらにしてみな、個人として尊重されるというのは日本国憲法で決められている程、とても重要なことなんですね。
- 国民主権
- 基本的人権の尊重
- 平和主義
これらは、憲法の3つの原則と呼ばれますが、どれもが「個人の尊重」に帰結します。
最終的に国の政治を決めるのは国民一人ひとりであるし、基本的な人権は尊重されるべきだし、誰かの幸せのために誰かを犠牲にすることもできません。
民主主義も独裁政治とは反対の、個人を尊重した政治システムです。
ゆうすけ
伊藤真さんの言葉
これらを踏まえて、こちらの本の著者の言葉がとても素敵だったので引用します。
本書は、kindle unlimitedの無料体験で読めます(2020年6月確認)。
人は、一人の尊厳ある人間としてその存在を保障され、そのために国家が機能すべきです。
つまり、「一人ひとりの個人のために国家は存在する」のであって、「国家のために個人が存在する」のではありません。
p70
僕らは大人になると、働いて、社会貢献をして、税金を払って、高齢者を支えて…と、国家のために生きている(と言っては過言ですが笑)感覚がありますよね。
でも、税金を納めることは国民の「誰か」のためであり、そして自分もその「誰か」のうちの一人なんです。
そして、著者はこう述べます。
また、一人ひとりは違っていてあたりまえなのですから、他人と同じ生き方をする必要はありませんし、国家がある生き方を強制することもできません。
一人ひとりの幸せは、一人ひとりの国民が自分自身で決めるべきなのです。
そして、その個人の幸せの中身というのは皆違っていていいのです。
自分の幸せは自分で定義すべき問題だということです。
p71
僕の感想
「みんな違って、みんないい!」
「幸せの形は人それぞれ!」
まぁ、言っちゃえば、こういうのってありがちな言葉ですよね。
伊藤真さんの言葉に僕が感銘を受けたのは、
法律の専門家が、法律を語る上で、「みんな違っていい。幸せの形は自分で決めるべき。」と語っているところです。
ゆうすけ
伊藤真さんは本書の冒頭でこんなことを書いています。
私は日本という国が大好きです。
それは、本書で述べるような世界に誇れる憲法を持っている国だからです。
改めて、日本は恵まれてる国だと感じます。