ゆうすけ
最近、副業のこととか、お金儲けのこととか、、そういったビジネスチックな話に首を突っ込んでいると怪しい勧誘にあったりするわけです。
その勧誘ってのは、僕より年上(25歳以上)の人が圧倒的に多いです。
こういった大人の怪しい勧誘をいくつか受けていると、結構人間不信になります、笑。(笑えない)
人間不信な自分が嫌だなぁ、、と感じてたんですが、ふと、漫画“ライアーゲーム”で主人公が言っていた言葉を思い出しました。
ゆうすけ
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漫画“ライアーゲーム”で学ぶ人との接し方
「信じる」その行為は紛れもなく高尚な事だ・・・、しかしね、多くの人間が『信じる』の名の下にやってる行為は実は他人を知る事の放棄。それは決して『信じる』行為ではなく・・・「無関心」。無関心こそ疑うよりはるかに忌々しい行為である事に多くの人間は気づいていない。多くの人は誤解しているけれど、人を疑うとはつまり、その人間を知ろうとする行為なんだ。」
「人を信じる」という行為の危うさを表しています。
「人を信じる」という言葉をきくと素敵な事ときこえるけど、他人を軽々しく信じるってそれはまさに、他人を知ることの放棄なんですよね。
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僕は無料の副業セミナーに参加して35万円の商材をその場で買わされそうになった経験があるからわかるんですけど、
そのセミナー講師が言うことを信じて従えば、明るい未来が待っていると思っちゃうんですよね。
「簡単に稼げる方法だよ!」という甘い言葉は、そうであると信じたくなってしまうんです。
なぜなら、信じるだけで稼げるなんてとても簡単だし、稼げる未来を想像するのが気持ちいいから。
信じることって、簡単だし、気持ちいいんですよね。
ただ、その信じるという行為には「知ろうとする心構え」がない。
まず、知ろうとすること自体労力のかかることだし、なにより明るい未来を想像させてくれているのに、それを否定する要素が現れるのが怖いんです。
「この人の言っていることが嘘なら、僕はどうすればいいんだろう…」って。
だから信じることとは反対に疑うこと、つまり知ろうとすることって、面倒くさいし、気持ち良くないんですよね。
疑ってかかることはシンプルに相手に失礼な気がしてしまいます。
そう思って疑い深くなっている自分に少し嫌気がさしていたのですが、
簡単に信じる≠無関心
疑う=知ろうとする行為
と、ライアーゲームの主人公が言ってくれたおかげで、疑うことはむしろ相手にとって失礼じゃないと気づかされました。
おまけ:RADWIMPS「五月の蠅」
RADWIMPSの通算16枚目のシングル曲です。
歌詞の一部を引用します。
僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ
君が襲われ身ぐるみ剥がされ
レイプされポイッてされ途方にくれたとて
その横を満面の笑みで
スキップでもしながら 鼻歌口ずさむんだ
僕は君を許さない
もう許さない もう許さないから
めちゃめちゃざっくり歌詞の全体像を言うと、
ブラックゆうすけ
って感じの曲です。(めちゃめちゃざっくり)
始めてこの曲を聴いたときは驚愕しました。なんて恐ろしい曲なんだと。
ゆうすけ
聴いたことない人は覚悟してぜひ聴いてみてください。。
この曲は、
「グロテスクな表現を露骨に使いすぎて気持ち悪い」
という否定的な意見と、
「これほどまでに憎しみが生まれるのはそれ相応の愛があったからこそだ。だから、これは最高のラブソングだ」
という好意的な意見。
めちゃくちゃ好きだった人に振られたらその人の悪口を言いたくなりますよね。。
それくらい、「愛」と「憎しみ」の感情って表裏一体なんだと思います。
そもそも他人に対して無関心だったら、憎しみの感情すら起きないですよね。
ゆうすけ