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【おすすめエッセイ本】朝井リョウ著「風と共にゆとりぬ」が衝撃的だった件

【おすすめエッセイ本】朝井リョウ著「風と共にゆとりぬ」が衝撃的だった件

朝井リョウ著「風と共にゆとりぬ」が衝撃的だった。

朝井リョウさんと言えば「桐島、部活やめるってよ」「何者」などのヒット小説を連発する超売れっ子作家。

就活大学生のリアルを書いた「何者」は直木賞を受賞しました。

なんと直木賞史上初の平成生まれの受賞者であり、男性受賞者としては最年少だそうです。

朝井リョウ直木賞受賞

画像引用元:https://matome.naver.jp/odai/2135833986811456901/2135834186811648903

大御所感あふれる人に若者が挟まれてるあたり、彼の凄さがにじみ出てますよね。

そんな売れっ子作家さんが書いたエッセイがこちらの「風と共にゆとりぬ」。

ちなみに、こちらの「風と共にゆとりぬ」は2冊目のエッセイで、初エッセイは「時をかけるゆとり」です。

「赤の他人の文章を読んで吹き出して笑う」という初めての体験

「赤の他人の文章を読んで吹き出して笑う」という初めての体験

人生において、文章を読んで「ぷっ」と吹き出してしまうほど笑ったのは初めてかもしれない。

もちろん過去には、友達とのLINEのやり取りで「文字をみて笑う」という体験をしたことはあった。

「軽い病気になって緑色のう○ちが出た」とLINEで報告をうけたときは、そりゃもう大笑いした。

ゆうすけ

(汚い話ごめんなさい、真っ先に思い浮かんでもうた)

けどそれは「その友達の一風変わったう○ちを想像=面白い」から笑えるのであって、別に文章自体が面白いわけではない。

赤の他人である朝井リョウさんが単に「緑色のう○ちでたわぁ」なんて言っても笑えないってこと。

知らない人が書く文章で笑うというのはハードルが高いことだと勝手に思っていたけど、そのハードルを軽々飛び越えてきたのである…。

しかも、数分の一度のペースで。。めっちゃ笑ったw

エッセイ本なので、朝井リョウさんが体験したこと・それから得た考えなどを綴っています。

何で笑ったかというと、彼の言葉選び。

リズムよくトントントンと読み進めていくと、急にポンっと放り込まれる小ボケがたまらない。

「なんやそれ!笑」って突っ込みたくなるような小ボケが満載。

まさに朝井リョウさんと漫才コンビを組んだかのような感覚。

これだけ絶賛しておいてなんだけど、何で笑ったか覚えてないんだよね。

くだらないけど面白い

「ぷぷぷ」な笑いって感じ。超好き。

些細な出来事も伝え方・言葉の選び方でこうも変わるかと「さすが直木賞作家さん…」と感服しました…。

「この人の話を聞きたい」と思わせる文体

「この人の話を聞きたい」と思わせる文体

彼が書く文章って、続きが読みたくなるんです。

それは、話の中の出来事に面白さがある、というだけではなくて。

自分を蔑むブラックジョークが自然に組み込まれているところが凄い。

男性の中で最年少で直木賞作家を取られてる方なのに、です。

仮に、僕がそんなこと成し遂げようものなら、ドヤ顔でデスクに向かってキーボードを必要以上の音をだしてカタカタさせていることでしょう。

どんなに有名な作家さんでも「どうだおれ凄いだろ?」みたいな文体で書かれるとちょっと引きませんか?

朝井リョウさんはそんなことはしなかった…。

そして、そこにいやらしさが全然ないんですよね。

自分の文章を読んでもらいたいが為に、自分を低く読者に合わせてる下心がまったく感じられない。

なんか、小説家さんってお堅いイメージありませんか?

僕ら一般ピーポーには、理解できない独特な世界観を持っているような。

なんだか近づきにくいイメージが、僕はあります。

ゆうすけ

正直、直木賞作家というだけで怖気づいてしまうけど、朝井リョウさんなら気軽に話しかけてしまいそう笑。

名のない現象の言語化が気持ちいい

名のない現象の言語化が気持ちいい

コラムほんの一部分を紹介する。

【能動的成長期】

話せるようになる、歩けるようになる、背が伸びる足や肩のサイズが大きくなる。

こちらが何をするでもなく訪れてくれた受動的な成長期が終わった今、必要か不要かだなんてとりあえず置いておいて、能動的に何かしらの初体験に手を伸ばすことでしか自分の輪郭は変わっていかない。

【なぜ『なぜ』と訊くのか】

なぜこの小説を書いたのですか

そう訊かれることが、私は苦手だ。

この質問をされるたび、「(あなたの作品より価値のあるものを書く作家はこの世界に何万人とおり、さらに小説以外にも毎日多くの面白い書籍が出版されている中、わざわざこの一冊を作るために大切な資源を利用してまで)なぜこの小説を書いたのですか」と問われているような気がするからである。

原因のわからない新たな現象を、自分によっての異物を、自分の守備範囲内にある論理に当てはめて、その新たな現象や異物が自分によって脅威ではないということを確かめたかったのだ。

「言われてみれば確かにその通りだ…」と思う。

僕たちは起きることに対して、ひとつひとう名前をつけたりしない。

別に名前をつける必要性は特にないんだろうけど。

こうやって「たしかにその通りだ…」とその現象に名前がつく瞬間は気持ちが良い。

自分の中に内在的に存在する意識を言語化されると、ストンと腑に落ちる。

「エッセイ本が食わず嫌い」の壁を破ってくれた

「エッセイ本が食わず嫌い」の壁を破ってくれた

これまで僕はエッセイ本を読むのをためらっていました。

エッセイ本って新聞とか雑誌の連載で書かれたもの寄せ集めのものが多くないですか?

「この本は私がたくさんの時間と労力を使って書きあげました!=小説」という本と、

「細々と日常を綴っていたら一冊の本ができちゃいました=エッセイ本」という本。

僕の中で勝手にこんな風に考えていたんです。

やっぱり、読んでみたいのは圧倒的に前者です。

小説家さんのイメージって、、、

ああでもない、こうでもないと言いながら、一度書いた原稿をくしゃくしゃにして投げ捨てる。

もうくしゃくしゃに丸めた原稿だらけで床がみえない、ってくらいに頭を悩ませたその先に「ぴかん!」と最高のアイデアが生まれる。

ちょっと大げさですけど、こんなイメージがあるんです(映画とかで、売れない漫画家がよくこんな描写ででてくる、あれ)。

それに比べて、エッセイ本ってホント悪い言い方になってしまいますが手抜きだと感じてしまっていました(偏見)。

偏見ってよくないですね。

たとえ、サクッと作ったものでも面白いものは面白い。

かけた時間は創作物自体の価値とは無関係ですからね。

ゆうすけ

これを機に見事にエッセイ本にハマりました

まとめ

朝井リョウさんの知的なんだけど、かなりアホらしい、本の娯楽体験をぜひ。笑

僕はいまこうやってブログを使って情報発信をしているので、「読んでいて面白い文章」を書きたいなと思っています。

エッセイ本って面白い文体の教科書みたいだなと思っていて、それらの文章を読んで吸収していきたいと思います。