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ゆうすけ
今回は、池田晶子さんの『暮らしの哲学』という本に書かれていた「好き嫌いとの付き合い方」が面白かったので紹介したいと思います!
「好き嫌い」という不思議
誰しも、好きな物、嫌いな物ってありますよね。
- お寿司は好きだけど、ピーマンは嫌い
- 数学は好きだけど、国語は嫌い
- この人は好きだけど、あの人は嫌い
この人間に備わっている「好き嫌い」って当たり前に受け入れているものですが、よくよく考えてみると不思議なものです。
人それぞれ
僕はトマトが好きですが、全く反対に嫌いで食べられないって人もいますよね。
同じ人間なのに好き嫌いがパッカリと分かれるなんて不思議だなと。
人としての機能なんて、大概似たり寄ったりなのに、それが正反対にわかれるわけです。
説明不能
そして、最も不思議で面白いのは「説明不能」なところ。
著者の池田晶子さんはこんなことを書かれています。
よくよく考えると、この「好み」というヤツ、人間の各種の精神作用のうちでも、とくに不可解な物ものであって、最終的に説明不能のものとして残るのはこれなのではないか、私などは思うものです。
p146
推理小説で有名なガリレオシリーズの主役である湯川先生は「現象には必ず理由がある。」と言いますよね。
一見、オカルトチックな不思議な現象が起きたとしても、タネを明かせば科学的理由があるということです。
しかし、好き嫌いにはタネがない。
僕らは普段の生活でも、これが好きだ、あれは嫌いだと、判断していますがこれには理由なんてありません。
例えば・・・
好みの異性の顔のタイプとかがそうです。
「目の形がー、」「鼻筋がー、」とか好きな理由を挙げたとしても、「なぜ」それが好きなのか?に対する答えになってはいないですよね。好きだから好きでしかないわけです。
「好き嫌い」との上手な2つの付き合い方
で、この「好き嫌い」との上手な付き合い方は2つあります。
- 嫌いなものは嫌いなままでもいいということ
- 利害や損得と「好き嫌い」を混同しないこと
嫌いなままでいい
一つ目の、嫌いなままでいいという話は、わがままなように見えて当たり前の話です。
- 誰だって好きな人と一緒にいたいし
- 好きな職業に就きたいし
- 好きな暮らしをしたい
この世の中は「好み」というゴリゴリに主観的なもので成り立っているわけです。
ゆうすけ
好き嫌いは、わがままではなく、個性であり、正確であり、自分の原点です
損得と「好き嫌い」を混同しない
これはちょっと難しくて、人間誰しも「好き嫌い」に素直に従っているのかというと、案外そうでもない。
「自分の得になるものが好きで、損になるものは嫌い」というのは素直なのではなく、単なる計算なんですね。
例えば・・・
お金持ちが好きで貧乏人が嫌い、そういう人がいたとしましょう。
そういう損得でお金はあるけど、心は貧しく卑しい人と付き合っていると、その人の心も貧しく卑しいものになってしまう。
結局、その人の精神衛生上、健康的なことではないですよね。
ゆうすけ
「好き嫌い」というのは、人間の最も根本的なものであり、好き嫌いで社会は回っているんだと知れば、物事わりとシンプルに見えるんじゃないかと思います
『暮らしの哲学』概要
本書は、今回紹介した「好き嫌い」に関する話だけではなく、著者の池田晶子さんが日々感じたことをまとめた哲学エッセイ本となっています。
ゆうすけ
もちろん、その中でも勉強になることはたくさんあり、今回の「好き嫌いの付き合い方」の話はその一部です。
池田晶子さんは2007年に亡くなった方ですが、哲学者・文筆家として有名で多くの哲学に関する本を出版された方です。
ゆうすけ