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【江戸時代】「火事と喧嘩は江戸の華」から見る日本人の強さ|百田さんの言葉がエモい

【江戸時代】「火事と喧嘩は江戸の華」から見る日本人の強さ|百田さんの言葉がエモい

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火事と喧嘩は江戸の華

これは、江戸時代は火事が多かったことと、江戸っ子の荒々しい気質を表した言葉です。

この言葉に付随して、百田尚樹さんの『日本国紀』のコラムに素敵な言葉があったので紹介したいと思います。

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江戸時代ってどんな時代?

「織田がつき、羽柴(はしば)がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」

これは作者匿名の歌で、戦国時代から江戸時代に移り変わる際には欠かせない3人の人物、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の関係を喩えた歌です。

百年続いた争いの世を治めたのが織田信長

それを引き継いで天下統一を果たしたのが豊臣秀吉(もともと羽柴秀吉)

それを巧みな政治手腕で奪ったのが徳永家康、ということです。

徳川幕府が国を統治していた江戸時代は、約260年は、大きな戦争もなく日本の歴史上、最も平和で治安のよかった時代だと言えます。

そして、同時代のヨーロッパ諸国と比べて、民度と知的レベルが高かった。

理性的で盗みを嫌い、寺子屋という庶民のための教育の場がほぼボランティアに近い状態で設けられていたので、多くの人が「読み書きそろばん」を習得していた。

これは、世界でも類を見ないほど高い教養です。

ゆうすけ

当時は江戸時代の庶民が世界一高い識字率を誇っていました

鎖国政策を打ったのもこの時代の大きな特徴。

豊臣秀吉がキリスト教を広めることに反対いたのですが「島原の乱」という農民の一揆が起こり、その農民の中にキリスト教信者が多数いたことから、海外との関わりを強く断つようになりました。

鎖国のおかげで、国の安定が保たれましたが、外国の科学技術や文明の取入れがなかったため、海外の時代の変化に遅れをとったのも事実です。

国内の安定を重んじて変化を恐れたため、社会の様々な制度に硬直した考え方による弊害が生じ、幕を閉じたのが江戸時代です。

「火事と喧嘩は江戸の華」

江戸時代について細かく書いていくと長くなってしまうので、おまけ話として本書に書かれているコラムを紹介します。

江戸時代は火事が多く1800年代の67年間だけで986回もの大きな火事が起きたそうです。

それと、江戸っ子の派手な気質から「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉が生まれました。

 

火事だけでなく、日本は昔から多くの災害に見舞われてきました。

地震は起きるし、それにより津波の被害もある。台風も襲うし、北の方では豪雪による被害も大きかった。

これら災害は、現代でも苦しめられているくらいだから、当時の人々にとっては、家・田畑・財産、そして大事な家族を失う、それくらい大きなことでした。

このことを踏まえた日本人の強さについて、少し長いですが、本書の言葉を引用します。

しかし私たちの祖先は決して挫けなかった。

悲しみと痛手を乗り越え、そのつど力強く立ち直ってきたのである。

日本人の持つ独特の「忍耐強さ」「互いに助け合う心」「過去を振り返らない強さ」「諦めのよさ」などの精神は、もしかしたら繰り返しやってくる災害に立ち向かってきたことで培われたのかもしれない。

その意味では、私たちの性格は日本という風土が生んだものといえるのだろう。

p197

僕はこれを読んだときに嬉しい気持ちになりました。

もちろん、災害はない方がいい。人間では立ち向かうことが到底できないような大きな自然の力に怯える必要もないし、突然大切なものを失うこともないだろう。

だからそういった災害の「おかげ」と言うと語弊がありますが、この日本の環境が日本人独特の強さをもたらしてくれたんだと。

江戸時代が幕を閉じた約七十年後、日本は大東亜戦争へと進んで、その結果、全国各地が焦土と化す。

この時にも我々の先人は、焼け野原の中から、世界が目を見張る奇跡の復興を遂げるのだが、その原動力も、長年にわたる災害との格闘という民族の歴史が育んだものだったといえるのかもしれない。

p197

戦争に負けて日本各地が焼け野原となったとき、そこから急速な復興を遂げたことは「東洋の奇跡」と呼ばれるほどの成長だったんですよね。

昔から災害に見舞われて、でも立ち直ってきたその精神は受け継がれているわけです。

そして、その血が僕の体にも流れていると思うと、嬉しい気持ちになりましたね。日本人でよかったなって。